緊急考察「未熟運転者が相手でも過失致死?」

緊急苦言「ごちゃまぜ報道に異議あり」


2001年7月3日(火曜日)東京新聞29面



『週末の夜間「走り屋」と称するドライバーが集まり、競争を繰り広げる埼玉県飯能市の正丸峠近くの国道で昨年12月、追い越しをかけた乗用車が対向車線にはみ出し、後方から同様に追い越しをかけたオートバイの男性が乗用車を避けようとして転倒、死亡する事故があり(略)乗用車を運転していた日高市の男性会社員(22)を書類送検した。(略)乗用車とオートバイは接触していなかったが、乗用車側の運転にオートバイが転倒する因果関係と過失があると判断したとみられ、異例の立件となった(略)。現場の正丸峠付近の国道には約20km内に約30のカーブがあり、「走り屋」が競争を繰り広げる。制限速度は40km/hだが事故当時、会社員は50〜70km/h、男性は100〜120km/hで走っていたと見られる(略)。』(記事内容を要約)
注)この原稿は東京新聞にメール送信されていますが、特別な承認は取っておりません。

 警察の発表を忠実に報道したものなのか記者の論評を含むのか不明なのですが、この記事の本質には疑問が残ります。「接触なしでも業過致死立件」が異例の事であるのは理解できるとして、この事故の内容から判断して(あくまでも記事を読んだ範囲の事ですが)『車線出た「走り屋」の車避けた二輪転倒』という見出しは無用な誤解を招くだけではないかと思うからです。
 この記事の本質? と思われる、接触していない車両同志の事故因果関係は、通常の事故処理では立件が難しく、自動車保険の扱いでも過失相殺しない場合もあります。今回の例を推察してみますと、追い越しのために対向車線にはみ出した会社員の車をオートバイは避けることが充分可能だったのではないか? 死亡事故に至ったのはオートバイ側の未熟運転が原因と考えられないか? というところが争点となるでしょう。
 確かに会社員は、対向車の有無以外に後方確認をしなければ駄目ですから、交通法規上の過失は明らかです。ただし、それが業務上過失致死と判定される点に難しさがあります。100〜120km/hで追い越しをかけてきたオートバイは、万一の事を考えて速度を控え、かつ前方には通常以上に注意を払う必要があります(短時間で追い越しを終えるための迅速さは必要ですが、今回の事故のようなケースも考えられるし、一般公道なので歩行者の飛び出しや脇道から車両が出て来ることも想定しておくべきです)。
 新聞記事の図を見ると、オートバイはスリップして転倒したことになっていますから、驚いたオートバイのライダーがブレーキミスを犯して転倒し、また転倒の方法が未熟であった事、総体的に自らがコントロール可能な速度域を超えていた可能性があるでしょう。両者の速度差は最大でも70km/hですから、私の経験で推測すると、今回の事故のケースでは、強めのブレーキングよりも軽いブレーキングで進行方向右側路肩ぎりぎりに避けられるか、接触したり、転倒したとしても街路灯に簡単に接触するとは考えにくいのです。
 ただし、会社員の車が本当に直前に飛び出してきて、間一髪で接触を避けての転倒の末に街路灯に接触してしまったのだとすれば話は違うと思うのですが、記事の内容ではギリギリニアミスではないように思えます。その件に関して「交通事故は避けて通れる」という観点から申し上げますと、以下のような事例が考えられます。

事例1)見通しのきかない交差点で一時停止し、最徐行状態で交差点に進入したところ、減速しないまま交差点に進入してきたオートバイが驚いて転倒し、電信柱に衝突して死んでしまった。

事例2)交差点でブレーキペダルを踏まず、またパーキングブレーキも作動させないまま右折待ちしていたところ、車が少しずつ前進してしまい、驚いた対向車が左に急ハンドルを切ったために路側帯を走っていた自転車をはね飛ばして死亡させてしまった。

 思い浮かぶ事例は多々あり、それぞれの状況によって過失判断されると思いますが、自らのミスが相手の運転ミスを招いて、自らのミス以上に相手方の未熟運転ゆえに事故損失が大きくなってしまう可能性はあります。
 すなわち「交通事故を避けて通るための心がけや知恵」は、自らのみならず未熟運転者をも助けることになるのです。接触していない事故で業務上過失致死や過失傷害を適用される可能性は、今後十分に起こりうる事を認識し、よりいっそうの知恵ある運転、注意深い運転を推奨するものです。

 さて最後になりましたが、私の疑問。もちろん私以外にも疑問をお持ちの方は多いでしょう。今回の事故はたまたま「走り屋」とみなされる会社員の運転する車によって引き起こされたこと、事故現場が「走り屋」の多い地域だったのは確かですが、通常のドライバーやライダーの間でも日常的に起こりうる危険な事故であり、特に「走り屋」という社会現象とは報道の本質が異なるのではないでしょうか?
 運転免許証をもたない方々や交通社会に明るくない方々の多くに『会社員が「走り屋」であったことが事故の原因』という歪んだ印象を与えてしまうのです。
 もし、この事故の当事者が「走り屋」の会社員ではなく、地元農家の老人が運転する軽トラックで、後方確認しないまま右折をはじめてしまったために起こった事故だとしたらどうでしょう? 事故の原因も結果も似たものになるでしょう。にもかかわらず記事の報道内容は全く異なるものになるのは明らかです。この記事は「走り屋」への批判を込め事実を歪めて書かれたという印象を持たざるを得ません。私には全く異なる2つの社会問題をごちゃまぜにしただけではないかと、疑問に思えるのです。

 さらに苦言を呈しますと、前回4月28日の「緊急提言」に対し、東京新聞側からは何ら回答やコメントをいただいていません。私が小規模ながらも雑誌メディアの要職を務めた頃には、読者様からの意見は真摯に受け止め、誤りや不適切な表現、誤解を招く論評などは厳正に改めて謝罪し、また当方に筋の通る主張があれば意志を明確に説明してきました。これからもその意志は貫きます。新聞社の規模では「一読者の文章など耳に介さず」というのなら仕方ありませんが、Eメールを掲載し情報や意見を求めるのなら、きちんとした対応が必要ですし、寄せられるメールが多すぎるのなら、とりあえずの自動返信設定をするくらい簡単な事です。私は東京新聞の定期購読はやめる事にしました。ただし、このような歪んだ新聞報道が続くのであれば、引き続き提言や苦言を続けようと考えます。

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